音楽に没頭するため、1年前に自宅に防音室を作った。
ところが、「これからギター三昧!音楽三昧だ!!」と息巻いてたのが嘘のように、音楽部屋(防音室)に入ることが無い。たまにギター教室で使うくらい。環境(家族や生活、仕事)が変わってもギターを触る時間だけは減らないと思ってたから、自分でもびっくりだ。
ギターも、ライブが近づかなければ、ギターケースから出て来ない。新居に引っ越す前は、それこそ毎日2~3時間は弾いて歌っていた。スティッカムにハマっていた時期もあったなぁ~。
なんて懐かしく思い出してみると、ギターを1カ月も弾かないなんてことは、僕のギター人生でも初めてかもしれない。
でも不思議、1、2ヵ月ギターに触らなくても、自分の曲で弾けなくなる曲は無い。
かけてきた情熱は裏切らない
僕は「音楽は情熱をかけた分だけ返ってくる」という言葉が好きだ。音楽だけの話ではなく、継続した分だけ、想いを詰め込んだ分だけ、成果になるってこと。だらだら継続するんじゃなくて、”情熱をかける”ってところがいいよね。
ゆっくり20数年かけて培った技術と、自分で実践して蓄積した知識は、わずか数カ月の休息では、無くならないんだ。いくらギターを弾かない時間が増えたとはいえ、ライブがあったり、採譜のお仕事が入ったりで、腕が落ちるほど間が空かないのも、本当にありがたいこと。
さみしくなると、ギターが僕の方にやってくるように出来てるのかな。
ギターと違って、声は歌っていないと出なくなるからやっかいだ。かといって歌いすぎも喉に悪い。なんでも適度が大事。でもその適度がわかってくるのが、10年も20年も続けてからなんだよなぁ・・・。
人の興味には波がある
「人生にも波があるように、音楽への熱量にも波があるよね~」なんていう話を、音楽の先輩としたことがある。大きな波、小さな波、そして凪(なぎ・風が止み、波の無い状態)。どんな状態でも、自分の中で音楽は少しずつ進んでいるのかもしれない。
昔は、仕事や家のことで音楽の時間が取れないと、すごくストレスが溜まった。今思うと、ストレスの行きつく場所が音楽だったんだろう。しかし、心境の変化というのはすごいもので、音楽を聞かない日、音楽を奏でない日が苦痛じゃなくなっている。
かと言って”音楽に冷めた訳でない”という確かな実感がある。ふつふつと燻っているミュージシャン魂をいつも肌で感じる。なんか昔と音楽への寄り添い方が変わったんだな。
きっとまた、音楽が生活の中心になるような”大波”が来る。
音楽が呼吸になる
こうやって文章にして自分の気持ちを整理すると、自分の中の「音楽」が、今一体どこにあるのか、何となくわかってくる。がむしゃらだった10代、とにかく外の世界へ出たかった20代、地に足の着いた30代。だいたい10年周期で音楽との接し方が変わってきた。
とくに30代以降、音楽で出会った人たちとの信頼関係はすばらしい!10代・20代のガツガツしてた頃には出会えなかった人脈ができた。音楽をすることが、ほとんど無意識になっているのかもしれない。呼吸をするように、言葉を話すように。
脱力したまま音楽ができるなんて、夢のようだ。